なかぢま のすべての投稿

「自己」と「他者」の評価のギャップ

以前勤めていた会社で、病気の症状も長い間落ち着いていて、それこそ通院もやめていたくらいに、バリバリ働いていた時期がありました。
ところがある日、一気に症状が再発し、重くなり、会社を休職する事態になってしまいました。正直、自分でも驚くほど一気に調子が悪くなったのです。
原因は「思ったほど給料が上がらなかった」ことにあると、自分では考えています。ただ単純に給料が上がらないだけなら、正直毎年のことなので、あまり心に影響はなかったと思います。
しかし、その年は自分の昇給への期待値と実際の昇給額のギャップが自分の中で大き過ぎたのです。





その時期は会社の中の新規業務の立ち上げがあり、私はその責任者として抜擢されていました。その新規業務を如何に効率よく運用するかを考えたり、他の部署との調整を行ったり、新規にマニュアルを作成したり、部下を育成したりと、「私としては」精力的に働いていたと思います。
その甲斐あって、割と早い時期に業務の安定した運用を行えるようになり、新規業務の立ち上げは「私としては」大成功でした。
実際に会社全体の業務の効率も上がったと思いますし、いろいろな数値面の調査も行えるようになったので、「私としては」会社に多大に貢献できたと考えていました。

そのため、私は期待していました。
「こんなに頑張ったし、これほど成果も出ているのだから、きっと給料もいつもよりも上がるに違いない」と思っていました。

そしていざ迎えた昇給についての面接の日、人事部長から私は「私としては」信じられないほど低い昇給額を伝えられました。
今でもあの衝撃は忘れられません。その瞬間、明らかに私の中のやる気がなくなったのです。
そのやる気は仕事だけではなく、生活面にも及んでしまい、結局数年ぶりに心療内科を訪れ、休職するという流れになったのです。

このときの原因は「自分の期待していた理想」と「実際の現実」との乖離が大きかったことです。
結局、「私としては」かなり頑張った仕事であっても、「会社の」評価は違います。それは「自分」と「会社」が他人である以上、起こってしまうことなのです。
自分に対する「自分」と「他人」の評価の違いにより、ストレスを感じてしまうことは私に限らずよくあることだと思います。評価が「主観的」に判断するものであるため、回避することはできないと思います。

では、どうすればその理想と現実のギャップに苦しまずに済むのか?

まずは上記のように、「自分に対する評価」は「自分」と「他人」とでは必ずしも一致しないということを理解することです。
そして、もしギャップが余りに大きく、自分ひとりでは耐えられない場合は、誰かに話を聞いてもらうことです。誰かに話すことでスッキリします。私の場合は、心療内科のカウンセリングにてその状況を話すことで、ある程度スッキリしました。

最終手段としては、執着しないことです。
つまり、この場合なら転職してしまうことです。
実際、私はその時期から転職を考え始めました。世の中に会社はたくさんあります。ひとつの会社で働き続けることに固執する必要はないのです。

「過去」に捉われず、理想とする「未来」があるのであれば、そこに向かって「今」をどう生きるかを考え、行動する。
これこそストレスフリーに生きることに必要な思考です。

何にせよ、そういった評価に疑問を持ったときこそ、生き方を大きく変えるチャンスなのかもしれません。




スーツがないと困る

最近の企業は、業界や業務内容によるとも思いますが、私服勤務の企業が大分多いと思います。私が以前勤めていたネット通販の企業もそうでした。
そのため、転職時に「スーツ」に困ってしまうという状況に陥りました。





どういうことかと言いますと、スーツ自体は持っていました。イージーオーダーで仕立てたお気に入りのスーツでした。特に裏地の色やラペル幅などにこだわったお気に入りの一着でした。
しかし、勤め先が私服勤務だったため、なかなか着る機会のない一着でもありました。友人の結婚式とかそういった機会もなかなかありませんでしたので、本当に着る機会のない服でした。

すると、どういったことが起きたでしょうか?

簡単です。身体が「大きく」なってしまい、スーツがきつくなってしまっていたのです。
スラックスのウエストがきついだけならなんとか上着でごまかせますが、ジャケットも前がしまるかしまらないかギリギリのところだったのです。
これには困りました。
正直、スーツというスーツはその一着しかありませんでしたので、転職活動においてはその一着が頼りでした。しかし、その一着がとてもとてもキツいのです。

通常であれば、急遽スーツを量販店に買いに行くのでしょう。特にスーツにこだわりのない方はこれで解決します。
しかし、スーツにこだわりがあり、イージーオーダーじゃないと気が済まない私は、結局量販店に行くことはありませんでした。「スーツを買うなら絶対にオーダーじゃないといやだ」というのも、私が手足が普通の人より長いため、ちゃんと採寸して仕立てたイージーオーダーじゃないと袖の長さが足りないのです。
そして、イージーオーダーを注文すると、仕立て上がるまで一ヵ月はかかります。
スーツが着られないと分かった時点で既に退職済みでしたので、大慌てで注文しに行きました。

結局、そのときの転職活動は退職後三ヵ月程掛かりましたので、後半戦においては新しいスーツで挑むことができました。
(だからと言って、前半戦の調子が悪かったのは決してスーツのせいではありませんが…)

転職をしようと思ったら、どんな企業が求人を出しているのかとか、どの転職エージェントに登録するのがいいのかとか、どういったマナーを身に着けるべきなのかとかを調べる前に、まずは手持ちのスーツが着られるかどうかチェックしましょう。
もし着られないようであれば、オーソドックスな一着を準備しましょう。ネクタイもです。

あと、忘れがちですが、革靴も準備しましょう。
デザインもいろいろあるかと思いますが、カジュアル過ぎないものを選びましょう。フォーマルでも使える黒のストレートチップがいいと思います。こだわるなら内羽根のものがいいですね。
ストレートチップの革靴が一足あれば冠婚葬祭にも困りません。

転職時には服装も大事です。身なりによる第一印象は短い時間で行われる就職面接においては非常に重要です。
忘れずに準備しましょう。




「死にたい」と言っていたころ

昔、本当に病気の症状が重くて調子が悪かったころ、よく家の中で「死にたい」と言って泣き喚いていました。

そのころは、本当に家の外にも出られず、何もできず、妄想ばかりしてしまっていました。「このままでいいのだろうか?」とか「もう人生終わりだ」とか、そういったことを考えていました。
今の私の言葉で言えば「未来を妄想していた」といったところですね。勝手に不安に捉われていたのです。

そうすると、口を開けば「死にたい」という言葉が出てきていました。ただ、この「死にたい」を実行することはもちろんありませんでした。なぜなら、今も当時も私は「死にたくない」からです。
ではなぜ「死にたい」などと口にしていたのか?





簡単です、家族にかまって欲しかったのです。

私の場合は「死にたい」ということで家族に自分のことをもっともっと考えてほしかったのです。贅沢な欲望です。すでに十分考えてもらっていたというのに……だけど、当時の私は他人の気持ちを考えられるほど気持ちに余裕がありませんでしたので、とにかく周りの人間に自分について考えて欲しかったのです。
「何を不安がっているのか」とか「現状をよくするためにはどうすればいいのか」とかを、考えて欲しかったのです。できれば「一緒に」考えて欲しかった。会話を通じて自身の悩みについて一緒に考えて欲しかったのです。

でも、それをうまく言葉にすることができませんでした。「一緒に自分の不安について考えて欲しい」と言えば済む話なのですが、心が過去や未来に捉われ、「今」の自分を把握できていない状況ではそんな簡単な言葉も発せられないのです。
でも、脳や心は一生懸命その言葉を発しようとします。そうして出てきた言葉が「死にたい」なのです。

「そんなバカな」と思われるかもしれませんが、心が「今」にない状況だと、周りが思いもよらない言葉でサインを発するのです、発してしまうのです。
私の場合は誰かに助けてもらいたいサインが「死にたい」という言葉を発することでした。

全ての人がそうではないかもしれません。
でも、もし身の周りに「死にたい」と言っている友人や知人がいたら、まずは落ち着いて話を聞いてあげてください。
話を聞いてもらうことで落ち着く人もいます。私がそうでした。
そして、さり気無くでいいので気持ちを過去や未来ではなく「今」に向けるように誘導してあげてください。
そうすることで、きっとその人は心の落ち着きを取り戻すはずです。

「死にたい」という言葉は「話を聞いて欲しい」とか「一緒に考えて欲しい」というサインだと私は考えます。
何度も何度も「死にたい」という人もいるでしょう。でも、もしあなたの心に余裕があるのであれば、何度でも話を聞いてあげてください。

悩みに捉われている人に、手を差し伸べてあげてください。




相撲を好きになったきっかけ

私が相撲を好きになったきっかけは、ずばり遠藤の影響です。彼がいなければ私にとって相撲は「ちょっと興味はあるけど見ることはないかな」といった感じのスポーツでした。





当時、私は自分の生き方に迷っていました。「仕事は今のままでいいのかな」とか「もう少しお給料がほしいな」とか「将来無事に生きていけるかな」とか…そんなことを考えていました。そのうち、どうにも思考が空虚なものになってしまい、仕事に集中できなくなっていったのです。
そんなある日、相撲のニュースか何かを見たのです。
そのニュースでは、人気力士として遠藤が紹介されていました。彼は、初土俵から異例のスピードで、髷を結うまで髪が伸びる前に、幕内まで出世し、顔もイケメンで、相撲のセンスもいいことから、本当に人気力士でした。言うまでもなく、当時の相撲人気を引っ張っていた立役者でしょう。
そんな彼を私が気になってしまったのは、私がミーハーだからとか、そういった理由ではありません。

相撲界で大活躍している彼が、私より若かったからです。

「自分より若いやつが全力でがんばっている」ことを知り、彼に注目し始めました。彼に注目するということは、当然相撲を見るということに繋がります。
当時の遠藤の活躍は素晴らしかったです、輝いていました。その取り組みに、目を奪われ続けました。

他の力士の取り組みも当然見ていました。
鍛え上げられた身体と身体の激しいぶつかり合い。ルールもシンプル、倒れるかフィールドの外に出されたら負け。一方で投げや変化などの巧みな技の数々。私は一気に相撲に夢中になりました。
さらに、遠藤以外の力士もほとんどが自分より若いことを知りました。横綱でさえ自分より若かったのです。これには本当に驚きました。
「自分より若い奴らが、その(彼らの)世界のトップに立っている」ということを知り、自分の心が何か奮い立つのを感じました。「自分は今のままでいいわけがない、もっともっと何かできるはずだ」と考えるようになったのです。

その後、まずはできることをやろうと、当時やっていた仕事に真剣に全力で取り組むようにしました。すると、しっかりと結果も出せたのです。これは素晴らしいことでした。
スポーツを好きになることで、自分にそういった変化が訪れるとは思っていませんでした。
昔から、スポーツはするのも見るのも正直嫌いでした。だが、このときばかりは「ああ、スポーツを好きになってよかった」と心の底から思いました。

私が相撲を好きになったのは「自分より若い連中が自分よりがんばっている」ことを知ったからです。
本来、自分と誰かを比較することはよくありません。ですが、本人の感じ方・受け止め方次第では、他人と自分との比較がプラスに働くこともあるのです。

時には、他人の行動や活躍にも、プラスの視線で目を向けてみましょう。




18歳のころ、焦っていた当時

忘れもしない18歳の誕生日、私は都内の某精神病院に入院しました。

その病院は、今はすでに閉院しているのですが、小児精神科診療をメインに行っていた精神病院でした。
その病院に18歳の誕生日に、入院しました。





病気が発症してからそれまで、約1年半程その病院に通院していましたが、症状がよくならなかったので入院したのです。
実は当初から入院治療を望んでいたのですが、とはいえ、18歳の誕生日当日に入院することになるとは思っておらず、かなりショックでした。凹みましたね。

そこでの治療は、いわゆる一般的な生活リズムを取り戻し、適度に運動させ、歳の近い者同士で集団生活を行う中で協調性を育む…といった感じだったのだと思います。正直、実際に病院がどういった治療方針だったのかは知りません。説明は…受けたかもしれませんが覚えていません。
とにかく、思い出すとそんな感じでした。

私のいた病棟は主に中学生~高校生くらいの年代の男子が集められた病棟でした。たしか19歳を過ぎたら強制的に退院もしくは転院しなければいけなかったのだと思います。

いろいろな人がいました。
私のように思いうつ病の人、本人に自覚がないまま協調性のない人、家庭に問題のある人、学校や社会に適合できなかった人、リストカットをする人、他にも、いろいろな人がいました。

そういった中で、私は約一年程過ごしました。
その間、休学していた高校に復帰しようとしたりもしました。

当時は、とにかく焦りがあったのだと思います。
特に、「退院」と「復学」に対して強い執着と焦りがありました。

「退院」は、とにかくその病院から出たかったのです。
正直、いろいろな事情・症状を抱えた人達の中にいて、当時私は「ここは地獄だ」と思っていました。もちろん、地獄の中にも楽しい思い出はあります。
でも、基本的には早く外に出たかった。一刻も早く地獄から解放されたかった。
そんな気持ちだったと思います。

「復学」は、当時の私は「高校を出ないとまともな人生は送れない」と思っていましたので、それはもう焦りました。
入院の時点で一年留年してしまっていましたので、焦りはとにかくありました。
「これ以上の留年は耐えられない、年下の連中と机を並べて勉強だなんてありえない」と思っていましたからね。

結果として、入院から半年後に一度は退院しましたが、すぐに再入院することになりました。
結局、焦り過ぎて「退院」も「復学」もどちらも失敗してしまったのです。

さらに半年後に「退院」は達成できましたが、結局高校は中退することになってしまいました。
(その後、大検取得に向けて動き始めましたがそれはまた別のお話とします)
つまり、願っていた「復学」は失敗に終わったのです。

振り返って思えば、当時の私は「焦り」に取りつかれていました。
「焦り」は「今」を見失わせます。「焦り」は「不安」や「執着」を強くします。
焦っても得など何もないのです。

そういった経験から言えるのは、どんなに困難な状況に陥っても、焦ってはいけません。
まずは自分を落ち着かせ、「今」を見つめましょう。「今」さえしっかり見えていれば、物事をコントロールすることができます。
「焦り」はマイナスの結果を呼び込みます。

よく言われるように、「焦りは禁物」なのです。