被害妄想や自意識が強かった時期

もうどれくらい前でしょう、「被害妄想」や「自意識過剰」が非常に強かった時期がありました。
道を歩いていて、すれ違う人が笑顔だったら当たり前のように自分が笑われていると思っていました。すれ違う人が真顔だったら自分に怒りを感じていると思っていました。すれ違う人が泣き顔だったら自分のせいで泣いていると思っていました。
笑われていると思うのは「被害妄想」で、怒りや悲しみを自分のせいで感じていると思うのは「自意識過剰」ですね。





夜寝るときは、向かいのアパートからボウガンか何かで毎夜狙撃されると思っていました。これも「被害妄想」であり「自意識過剰」でした。
「被害妄想」と「自意識過剰」は度々同時に発生するものだと私は考えます。「他人が自分のことを常に考えている」とか「他人に自分がどう思われているか」とかが度を越してしまうと「自意識過剰」で、「他人が自分を攻撃しようとしている」とか「他人に自分は嫌われている」とかが度を超すと「被害妄想」と呼べるでしょう。
どちらも似ていますね。「他人」が「自分」をどう思っているか、その考え方がどちらも根底にあります。

「他人」の考えは、結局のところその「他人」本人にしかわかりません。「他人」に今何を考えているかを聞いたところで、その答えが本当に今考えていることなのかどうかはその「他人」本人にしかわかりません。
一方で、「自分」が今何を考えているかは「自分」本人にしかわかりません。
相手の心を読むという超能力でもないかぎり、相手の意識をのぞき込むことはできません。不可能なのです。

つまり、「他人」が「自分」に対してどういう考えを持っているかどうかを考えることは、その行為自体「意味のない妄想」でしかないのです。自分自身で作り上げている妄想世界でしかないのです。
「他人が自分を攻撃しようとしている」という妄想も、結局根拠がありません。「根拠のない未来」は常に「妄想」でしかないのです。
そういった「妄想」を作り上げるくらいだったら、意識を常に「今」に向けることの方が大事です。
意識を「今」に向けることにより、余計な妄想をすることなく、心の平穏を得ることができます。

「妄想」は「心の不安」の原因です。
「妄想」と「願望」は違います。
「妄想」と「希望」は異なります。
「妄想」と「予想」は別物です。

「妄想」は心を乱します。
私も当時、そういった強い妄想によって心を乱されていました。常に不安を感じていました。
今だった、油断すると「妄想」に心を捉われてしまい、不安の境地に陥ってしまいます。

そういったときは、深呼吸を行い自分の呼吸を数えるなどして、「今」に回帰するようにしています。
意識が「今」に向くと、自然と落ち着いています。

「過剰な妄想」は心の毒でしかありません。
「妄想の世界」を自ら作り上げ、捉われてしまったときは、深呼吸を行い、「今」に帰ってきてください。