「死にたい」と言っていたころ

昔、本当に病気の症状が重くて調子が悪かったころ、よく家の中で「死にたい」と言って泣き喚いていました。

そのころは、本当に家の外にも出られず、何もできず、妄想ばかりしてしまっていました。「このままでいいのだろうか?」とか「もう人生終わりだ」とか、そういったことを考えていました。
今の私の言葉で言えば「未来を妄想していた」といったところですね。勝手に不安に捉われていたのです。

そうすると、口を開けば「死にたい」という言葉が出てきていました。ただ、この「死にたい」を実行することはもちろんありませんでした。なぜなら、今も当時も私は「死にたくない」からです。
ではなぜ「死にたい」などと口にしていたのか?





簡単です、家族にかまって欲しかったのです。

私の場合は「死にたい」ということで家族に自分のことをもっともっと考えてほしかったのです。贅沢な欲望です。すでに十分考えてもらっていたというのに……だけど、当時の私は他人の気持ちを考えられるほど気持ちに余裕がありませんでしたので、とにかく周りの人間に自分について考えて欲しかったのです。
「何を不安がっているのか」とか「現状をよくするためにはどうすればいいのか」とかを、考えて欲しかったのです。できれば「一緒に」考えて欲しかった。会話を通じて自身の悩みについて一緒に考えて欲しかったのです。

でも、それをうまく言葉にすることができませんでした。「一緒に自分の不安について考えて欲しい」と言えば済む話なのですが、心が過去や未来に捉われ、「今」の自分を把握できていない状況ではそんな簡単な言葉も発せられないのです。
でも、脳や心は一生懸命その言葉を発しようとします。そうして出てきた言葉が「死にたい」なのです。

「そんなバカな」と思われるかもしれませんが、心が「今」にない状況だと、周りが思いもよらない言葉でサインを発するのです、発してしまうのです。
私の場合は誰かに助けてもらいたいサインが「死にたい」という言葉を発することでした。

全ての人がそうではないかもしれません。
でも、もし身の周りに「死にたい」と言っている友人や知人がいたら、まずは落ち着いて話を聞いてあげてください。
話を聞いてもらうことで落ち着く人もいます。私がそうでした。
そして、さり気無くでいいので気持ちを過去や未来ではなく「今」に向けるように誘導してあげてください。
そうすることで、きっとその人は心の落ち着きを取り戻すはずです。

「死にたい」という言葉は「話を聞いて欲しい」とか「一緒に考えて欲しい」というサインだと私は考えます。
何度も何度も「死にたい」という人もいるでしょう。でも、もしあなたの心に余裕があるのであれば、何度でも話を聞いてあげてください。

悩みに捉われている人に、手を差し伸べてあげてください。