相撲を好きになったきっかけ

私が相撲を好きになったきっかけは、ずばり遠藤の影響です。彼がいなければ私にとって相撲は「ちょっと興味はあるけど見ることはないかな」といった感じのスポーツでした。





当時、私は自分の生き方に迷っていました。「仕事は今のままでいいのかな」とか「もう少しお給料がほしいな」とか「将来無事に生きていけるかな」とか…そんなことを考えていました。そのうち、どうにも思考が空虚なものになってしまい、仕事に集中できなくなっていったのです。
そんなある日、相撲のニュースか何かを見たのです。
そのニュースでは、人気力士として遠藤が紹介されていました。彼は、初土俵から異例のスピードで、髷を結うまで髪が伸びる前に、幕内まで出世し、顔もイケメンで、相撲のセンスもいいことから、本当に人気力士でした。言うまでもなく、当時の相撲人気を引っ張っていた立役者でしょう。
そんな彼を私が気になってしまったのは、私がミーハーだからとか、そういった理由ではありません。

相撲界で大活躍している彼が、私より若かったからです。

「自分より若いやつが全力でがんばっている」ことを知り、彼に注目し始めました。彼に注目するということは、当然相撲を見るということに繋がります。
当時の遠藤の活躍は素晴らしかったです、輝いていました。その取り組みに、目を奪われ続けました。

他の力士の取り組みも当然見ていました。
鍛え上げられた身体と身体の激しいぶつかり合い。ルールもシンプル、倒れるかフィールドの外に出されたら負け。一方で投げや変化などの巧みな技の数々。私は一気に相撲に夢中になりました。
さらに、遠藤以外の力士もほとんどが自分より若いことを知りました。横綱でさえ自分より若かったのです。これには本当に驚きました。
「自分より若い奴らが、その(彼らの)世界のトップに立っている」ということを知り、自分の心が何か奮い立つのを感じました。「自分は今のままでいいわけがない、もっともっと何かできるはずだ」と考えるようになったのです。

その後、まずはできることをやろうと、当時やっていた仕事に真剣に全力で取り組むようにしました。すると、しっかりと結果も出せたのです。これは素晴らしいことでした。
スポーツを好きになることで、自分にそういった変化が訪れるとは思っていませんでした。
昔から、スポーツはするのも見るのも正直嫌いでした。だが、このときばかりは「ああ、スポーツを好きになってよかった」と心の底から思いました。

私が相撲を好きになったのは「自分より若い連中が自分よりがんばっている」ことを知ったからです。
本来、自分と誰かを比較することはよくありません。ですが、本人の感じ方・受け止め方次第では、他人と自分との比較がプラスに働くこともあるのです。

時には、他人の行動や活躍にも、プラスの視線で目を向けてみましょう。




18歳のころ、焦っていた当時

忘れもしない18歳の誕生日、私は都内の某精神病院に入院しました。

その病院は、今はすでに閉院しているのですが、小児精神科診療をメインに行っていた精神病院でした。
その病院に18歳の誕生日に、入院しました。





病気が発症してからそれまで、約1年半程その病院に通院していましたが、症状がよくならなかったので入院したのです。
実は当初から入院治療を望んでいたのですが、とはいえ、18歳の誕生日当日に入院することになるとは思っておらず、かなりショックでした。凹みましたね。

そこでの治療は、いわゆる一般的な生活リズムを取り戻し、適度に運動させ、歳の近い者同士で集団生活を行う中で協調性を育む…といった感じだったのだと思います。正直、実際に病院がどういった治療方針だったのかは知りません。説明は…受けたかもしれませんが覚えていません。
とにかく、思い出すとそんな感じでした。

私のいた病棟は主に中学生~高校生くらいの年代の男子が集められた病棟でした。たしか19歳を過ぎたら強制的に退院もしくは転院しなければいけなかったのだと思います。

いろいろな人がいました。
私のように思いうつ病の人、本人に自覚がないまま協調性のない人、家庭に問題のある人、学校や社会に適合できなかった人、リストカットをする人、他にも、いろいろな人がいました。

そういった中で、私は約一年程過ごしました。
その間、休学していた高校に復帰しようとしたりもしました。

当時は、とにかく焦りがあったのだと思います。
特に、「退院」と「復学」に対して強い執着と焦りがありました。

「退院」は、とにかくその病院から出たかったのです。
正直、いろいろな事情・症状を抱えた人達の中にいて、当時私は「ここは地獄だ」と思っていました。もちろん、地獄の中にも楽しい思い出はあります。
でも、基本的には早く外に出たかった。一刻も早く地獄から解放されたかった。
そんな気持ちだったと思います。

「復学」は、当時の私は「高校を出ないとまともな人生は送れない」と思っていましたので、それはもう焦りました。
入院の時点で一年留年してしまっていましたので、焦りはとにかくありました。
「これ以上の留年は耐えられない、年下の連中と机を並べて勉強だなんてありえない」と思っていましたからね。

結果として、入院から半年後に一度は退院しましたが、すぐに再入院することになりました。
結局、焦り過ぎて「退院」も「復学」もどちらも失敗してしまったのです。

さらに半年後に「退院」は達成できましたが、結局高校は中退することになってしまいました。
(その後、大検取得に向けて動き始めましたがそれはまた別のお話とします)
つまり、願っていた「復学」は失敗に終わったのです。

振り返って思えば、当時の私は「焦り」に取りつかれていました。
「焦り」は「今」を見失わせます。「焦り」は「不安」や「執着」を強くします。
焦っても得など何もないのです。

そういった経験から言えるのは、どんなに困難な状況に陥っても、焦ってはいけません。
まずは自分を落ち着かせ、「今」を見つめましょう。「今」さえしっかり見えていれば、物事をコントロールすることができます。
「焦り」はマイナスの結果を呼び込みます。

よく言われるように、「焦りは禁物」なのです。




眠れない夜

何年も前、私にも夜に眠れない時期がありました。
当然医師にも相談して、睡眠導入剤やら睡眠薬やらを処方してもらっていました。
寝ようとする時間の前に飲むのですが、飲んで、布団に入って、三時間経っても眠れないのです。たぶん、五時間後くらいには眠っていたと思います。
でも、その分起きるのが遅くなり、その日にやりたかったことが何もできないのです。
そういった日々の連続で焦りを覚え、イライラし、不安に捉われていました。生活リズムも徐々に徐々に昼夜逆転状態になっていきました。
そして「もう社会復帰できないのでは?」という考えに頭が支配されていました。





眠れないことで荒れていました。
暴れもしました。
そんなとき、母から言われたある言葉が睡眠に関する認識を変えたのです。

「無理に眠らなくていいじゃん」

この一言です。
この言葉を聞いて睡眠への認識が変わりました。

もちろん、いきなり悟りを開けたかのように考え方が変わったわけではありません。
正直、最初に言われたときは「何言ってんだよ!それじゃダメなんだよ!」と反抗した覚えもあります。

しかし、それでも母から何度も何度も「無理に眠らなくていいじゃん」と言われ続けていくうちに、だんだんと考え方が変わっていったのです。
「起きるとか眠るとかは身体が決めるリズムなのだから、頭でどうこう考えてもどうにもならないよね」といった具合に変化していきました。

やがて、布団に入って一時間くらい経っても眠れない夜は一旦眠ることをあきらめて本を読んだりTVゲームをやったり、DVDを見たりするようになりました。
すると、無理やり寝ようとしていませんので、眠れなくても気持ちは落ち着いているのです。
最初のうちはそのまま朝になって、朝から寝るという日が何度もありました。
ただ、起きてからやりたかったことなどは夜のうちにやってしまっていたので焦りの気持ちなどはありませんでした。

やがて、一旦眠ることをあきらめてから他のことをやっているうちに、徐々に眠くなるようになってきました。
身体が自然と地球時間にリズムを合わせ始めてきたのです。
そして、私の睡眠リズムはいつの間にか一般的な「朝起きて夜眠る」型に戻っていったのです。

もし、どうしても眠れない夜が続いて悩んでしまっていたら、一度眠ることをあきらめてください。
無理やり眠ろうとすると焦りや不安が生まれますが、自分の身体の自然のリズムに心を任せれば焦りや不安は生じません。

学校に通っていたり仕事をしている人にとっては厳しいことを書いているかもしれません。
でも、どうしても眠れないときは試しに一度眠ることをあきらめてください。
翌日、身体はつらいかもしれませんが、心はいつもよりも楽になっているはずです。

まず大事なのは心です。
心さえ安定していれば睡眠リズムは人と違っていても大丈夫です。

「こうでなきゃいけないんだ」と思う必要はありません。
思い込みを捨てて、まずは自分の心を楽にしてみましょう。




つらいときは休もう

心の病を抱えている人にとって、時に仕事は本当に辛いものです。
怒られたとか失敗したとかの「過去」の出来事や心配だとか失敗するかもとかの「未来」の可能性に捉われてしまい、不安に押しつぶされそうになることがあると思います。





そういったときは、瞑想などを行い思考をリフレッシュすることが大事になってくるのですが、働きながらだと瞑想したりすることは難しいです。それに、そういった不安に捉われているときは身体そのものが疲労により弱っている場合もあります。

では、どうするのか?

思い切って仕事を休みましょう。

経験上ハッキリ言います。
一日くらいだったら休んでも会社は何も問題ありません。
もっと言えば、三日くらいまでなら休んでも本当に何も問題ありません。
意外にも、そんなものです。

休むと決めた朝は落ち着いて電話を手に取り、会社の番号を押し、出てきた相手にこう言うのです、「すいません、風邪をひいて熱が出てしまいました」と。
たったこれだけです。
これだけ言えば会社を休むことができます。
もしこれで休めない会社があるのであれば、それはとんでもないブラック企業です。転職をお勧め致します。

二日三日休む場合はどうすればいいのでしょう?
簡単です。
同じように朝会社に電話をかけ、出てきた相手にこう言うのです、「すいません、まだ熱が下がりません」と。
たったこれだけです。
これだけ言えば最長三日は休むことができます。

本来であれば「うつ病が重くなってしまって」とか「不安がいっぱいで動けません」とか、そういったなかなか理解されない病状を長く説明しなければなりません。
しかし、上記の説明であれば相手もすぐに納得しますし、苦であろう電話での会話もすぐに終わります。

実際、このやり方は「嘘」を言っていることになります。
でも、不安に押しつぶされそうになっているときは自身の心と身体にとっては切羽詰まった非常事態です。
「嘘も方便」だと思って、気楽に構えましょう。
つらいときは、まず自分を優先するようにしてください。

そして、見事にゲットしたお休みで、自分の心と身体をしっかりとリフレッシュしてあげましょう。
趣味に没頭するもよし、しっかりと睡眠をとるのもよし、とにかく自身の「今」を意識し、大事にしてあげてください。
くれぐれも「過去」や「未来」に捉われないようにしてください。
せっかく嘘までついて得た休息の時間なのです、楽しいことだけをしましょう。

病状が重くなる前にこのように休日を無理やり作ることで、心の負担を軽減することができます。
何度も言いますが、無理をしてより深刻な病状になるよりかはちょっとした嘘をついてでも心と身体を休めてください。

もちろん、出社後は急に休みをもらってしまったことを同僚や先輩、上司にはしっかり謝りましょう。
ただし、嘘をついたことは言わなくていいです、言う必要もありません。
そもそもバレませんのでご安心ください。

リフレッシュして回復したパワーで仕事をすれば、周りも気持ちよく迎えてくれるはずですよ。

つらくなったら、まずは休みましょう。




「がんばれ」より誉めてほしい

「がんばれ」という言葉、うつ病患者などに使ってはいけないというのは割と広まっているかと思います。

私自身、今でもそうですが、「がんばれ」と言われるのは苦手です。
言ってくれた相手に悪気がないのはわかっています。わかってはいるのですが、それでも色々と邪推してしまうのです。
「自分はすでにこんなにがんばっているのに、もっともっとがんばらないといけないのか?」とか、「がんばっているつもりなのに、そのがんばりが他の人には認めてもらえないの?」とか。
そういう風に捉えてしまうのです。





繰り返しになりますが、「がんばれ」と言った本人に悪気がないのはわかります。
しかし、心が弱っていると、言われた側は上記の通りに捉えてしまうのです。
これでは言った側にとっても言われた側にとってもマイナスの効果ですね。

ではどうすればいいのか。

私はこう考えます。
もし心を病んでしまった人を励ましたいのであれば、「がんばれ」と未来について励ますのではなく、「今」もしくは「今まで」について誉めてあげるのです。
そう、「誉める」のです。

例えば心の病にかかり、外に出るのが怖くなり、家にひきこもりになってしまった人がいるとします。そして、医師のサポートのもとで徐々に家の外に出る訓練をしている段階にあるとします。
ある日、彼は靴を履くことができました。
しかし、ドアを開けて一歩を踏み出すことができませんでした。
そういった際に「明日はもっとがんばろうね」と言うのは酷です。
なぜなら、彼は相当がんばって靴を履いたのですから。
だから、この場合は「今日は靴を履くことができたね。よくがんばったね」と言ってあげることが大事だと思います。
それにより、本人の自らの意思により「明日は今日よりもう少しだけがんばってみよう」と思うことに繋がるのです。
また、誉められることにより「靴を履くことしかできなかった自分」を肯定的に捉えることができます。
つまり、今日の自分は「靴が履けた自分」なのだと思考を転換させられるのです。

仮に心の病でなくとも、誉められることによって自己を肯定することができます。
また、誉める側も、相手の良い点を探すことになりますのでマイナスの視点から脱することができます。

もし周りに誉めてくれる人がいない場合は、自分で自分を誉めましょう。
「今日は仕事で失敗しちゃったけど、失敗を経験できたことは貴重なことなのだからよくやった」といった感じで、何がなんでも自分を誉めるのです。
マイナスの視点に捉われて何もできなくなってしまうよりかは遥かにマシです。
荒唐無稽な理論であっても、今の自己を肯定し続ければきっと明日はより良い日になります。

「がんばれ」と言うよりも、「がんばろう」と思うよりも、まずは誉めましょう。