「がんばれ」より誉めてほしい

「がんばれ」という言葉、うつ病患者などに使ってはいけないというのは割と広まっているかと思います。

私自身、今でもそうですが、「がんばれ」と言われるのは苦手です。
言ってくれた相手に悪気がないのはわかっています。わかってはいるのですが、それでも色々と邪推してしまうのです。
「自分はすでにこんなにがんばっているのに、もっともっとがんばらないといけないのか?」とか、「がんばっているつもりなのに、そのがんばりが他の人には認めてもらえないの?」とか。
そういう風に捉えてしまうのです。





繰り返しになりますが、「がんばれ」と言った本人に悪気がないのはわかります。
しかし、心が弱っていると、言われた側は上記の通りに捉えてしまうのです。
これでは言った側にとっても言われた側にとってもマイナスの効果ですね。

ではどうすればいいのか。

私はこう考えます。
もし心を病んでしまった人を励ましたいのであれば、「がんばれ」と未来について励ますのではなく、「今」もしくは「今まで」について誉めてあげるのです。
そう、「誉める」のです。

例えば心の病にかかり、外に出るのが怖くなり、家にひきこもりになってしまった人がいるとします。そして、医師のサポートのもとで徐々に家の外に出る訓練をしている段階にあるとします。
ある日、彼は靴を履くことができました。
しかし、ドアを開けて一歩を踏み出すことができませんでした。
そういった際に「明日はもっとがんばろうね」と言うのは酷です。
なぜなら、彼は相当がんばって靴を履いたのですから。
だから、この場合は「今日は靴を履くことができたね。よくがんばったね」と言ってあげることが大事だと思います。
それにより、本人の自らの意思により「明日は今日よりもう少しだけがんばってみよう」と思うことに繋がるのです。
また、誉められることにより「靴を履くことしかできなかった自分」を肯定的に捉えることができます。
つまり、今日の自分は「靴が履けた自分」なのだと思考を転換させられるのです。

仮に心の病でなくとも、誉められることによって自己を肯定することができます。
また、誉める側も、相手の良い点を探すことになりますのでマイナスの視点から脱することができます。

もし周りに誉めてくれる人がいない場合は、自分で自分を誉めましょう。
「今日は仕事で失敗しちゃったけど、失敗を経験できたことは貴重なことなのだからよくやった」といった感じで、何がなんでも自分を誉めるのです。
マイナスの視点に捉われて何もできなくなってしまうよりかは遥かにマシです。
荒唐無稽な理論であっても、今の自己を肯定し続ければきっと明日はより良い日になります。

「がんばれ」と言うよりも、「がんばろう」と思うよりも、まずは誉めましょう。