東京都立梅ヶ丘病院に精神疾患(うつ病)の患者として入院していた頃の話 | 精神病院体験記





かつて東京都内には「東京都立梅ヶ丘病院」という病院が、小田急線の梅ヶ丘駅近くにありました。
主に小児精神疾患を扱う精神病院でした。

概要や歴史その他詳細などはウィキペディアで確認して頂くとして、簡単にまとめると「小児・少年・少女・青年期における発達障害や心の病・精神疾患などを専門的に扱う病院」だったのです。

世紀末が明け、新たな時代に入り世の中が希望に満ちていた2000年だったか2001年だったか、私はそこに1年近くの通院治療を経て、入院することになりました。

もともと私は発症したとき、入院を自分で希望していました。
しかし、病院の空きベッド数の関係などで、中々入院治療を受けることができなかったのです。

梅ヶ丘病院で1年間通院治療を受けましたが、あまり効果が出ていたとは言えませんでした。
当時の担当医との相性が悪かったのかもしれません。
そのタイミングで、満を持しての入院開始だったのです。

今回は、今はもうない梅ヶ丘病院について、入院体験者として中でどういった生活が営まれていたのか、少しお話したいと思います。






 

▼入院病棟はいくつもあった

入院病棟は複数ありました、6棟だったような気がします。
主に 性別・年齢・病状 で分けられていたかと思います。

当時、その中で思春期の男子が入れる病棟に私は入院しました。

その中では、私のようなうつ病患者や統合失調症患者、発達障害や知的障害、その他よくわからないけど何らかの精神疾患を患った少年・青年達が閉鎖された病棟で共同生活を送っていたのです。

他にも、思春期の女子だけを集めた病棟や、小学校低学年などの児童を集めた病棟などがあったと思います。
介護者なしでは生活できないような障害の子供達を集めた病棟もあったような気がします。

基本的に他の病棟とは交流を持ちません。
たまにスポーツ大会などで会うくらいです。

もちろん、他の病棟に入ることはできませんでした。
他の病棟の患者さんとも、あまり関わってはいけない雰囲気でした。

 

▼寝泊まりする病室について

入院する病室には大きく分けて2種類ありました。

「個室」と「相部屋」です。

基本的には相部屋で生活することになりますが、入院初期ですとか、あるいは相部屋にすると問題(暴力・喧嘩など)が発生してしまう患者さんは個室に入っていたと思います。

個室に関しては、場合によっては常時鍵を外からかけられ、トイレに行くとき以外自由に出入りすることはできませんでした。

相部屋はいくつもありました。
3人部屋や4人部屋、6人部屋が一番広かったかもしれません。

カーテンなどで仕切られているわけではありませんので、プライバシーも何もありません。

また、他の病室に入室することは固く禁止されていました。

ルールを違反してしまうと、「外出禁止」などの罰を与えられました。

 

▼徹底して閉鎖・管理された病棟

病棟の出入りは全く自由ではありません。

病棟の担当看護師の許可もしくは同伴がなければ、外に出ることはできません。
しっかりとした鍵で二重にロックされていたような記憶があります。

家族などの面会に関しても、事前に家族が病院に連絡したうえでスケジュールを調整しなければならなかったと思います。
病棟内は広くなく、また特に面会室など設けてありませんでしたので、そういった配慮が必要でした。

また、持ち物も厳しくチェックされます。

当たり前ですが、刃物などの危険物は持ち込みできません。

ヒゲ剃りや爪切り、ハサミなどに関しても病棟に持ち込んだのち、看護師さんに預ける必要がありました。
使用したい場合のみ、お願いしてそれらの道具を出してもらうのです。

お菓子なども、栄養管理の面から、自由な持ち込みはできなかったような記憶があります。

そもそも、お金に関しても家族が病院・看護師さんに預けて、必要な分だけ支給されるスタイルでした。

起床時間や消灯時間、食事時間や入浴時間なども決められていて、生活そのものを管理されていました。

それは、精神疾患の影響で生活が怠惰にならないようにするためだったのだと予想されます。

 

▼入院中の主な日程

入院中、スケジュールは基本的に毎日決まっていました。

病院内にスポーツのできる校庭(?)や体育館がありましたので、そこでスポーツを行ったりしました。

また、病棟内で皆でビデオ鑑賞をしたりする時間もありました。

複数の看護師さん同伴で、皆で近くの公園(羽根木公園)に散歩に行くといったこともありました。
入院初期の段階では貴重な外出の機会だったと思います。

食事は時間が決まっていました。
献立も事前に発表されていました。
食事の際、服用薬が皆それぞれに配られます。
飲み忘れもしくは意図的な飲み逃れがないように、薬を飲み終わるまで看護師さんが見てくれています。

入浴可能時間は決まっていましたが、強制的ではなかったと思います。少なくとも私の病棟は。
なので、入らない人は本当に入らなかったと記憶しています。
私は適度に入りました。

しかし、大浴場でしたので、今思えば衛生面で果たして本当に問題なかったのかな、と思ってしまいます。






 

▼担当看護師及び医師

医師は病棟単位で担当してくれていました。
私のいた病棟は我の強い思春期の青少年メインでしたので、さぞ大変だったことでしょう。
尊敬できます。

看護師は、患者それぞれに担当してくれました。
もちろん掛け持ちですが。
それでも、1人の患者に対して主担当と副担当が付きましたので、そういった点ではしっかりした体制だったと思います。

また、看護師さんはシフト勤務で交代制でした。
日中勤務のシフトと、夜から朝まで勤務するシフトがあったんだと思います。

担当する患者を選ぶことはできませんから、聞き分けの良い子の担当になれるかどうかは「運」だったでしょうね。

 

▼外出について

入院初期は一切外出できません。

しかし、担当医の許可が出ると、まず同伴外出ができるようになります。
同伴外出とは、看護師さんに同伴してもらって自由時間に一緒に近所に買い物に行ったりすることです。
外出レベル1、といったとこでしょうか。
看護師さんの業務の都合もありますので、毎朝申請する必要がありました。
また、場合によっては患者複数人で一緒に団体行動することになります。

さらに体調がいいと、担当医から自由外出の許可が下ります。
外出レベル2です。
この許可を受けると、自由時間に自由に外出できるようになります。
ただし、行先などは事前に看護師に申告しなくてはなりません。
ただ、自分のタイミングで外に出られるので、かなり自由度はあります。

 

▼外泊について

週末土日などは実家に帰って「外泊」することができます。

ただし、病状や家庭環境などにもよって、外泊できるかできないかの差はあったと思います。

外泊中は監視・管理されるわけではないので、真の意味で羽を伸ばせました。

 

▼入院期間

これはもう、本当に人それぞれです。

半年くらいで退院する人もいれば、何年も入院するような人もいました。

また、決まりで18歳の年度末までしか入院できないようでした。
小児専門の病院ですので、そのあたりは仕方ありませんね。

また、病状によっては退院後すぐに再入院ということもあります。

私も一度退院後すぐに再入院しました。
当時の正直な感想を申し上げれば、絶望感しかなかったですね。
「せっかく出られたのに、なんで俺ばっかり…」みたいな。






 

▼自立支援…的な

その他、退院後に自立できるように、病院からアルバイトに通っている人もいました。

私の場合も、当時は退院後に復学する予定でしたので、病院から近隣の個別学習塾に通わせてもらっていました。
病棟内には一応自習室のような部屋もありましたので、そこで宿題などをやることもできました。

また、ケースワーカーさんも定期的に見回りに来てくれて、いろいろと相談することができました。
今思えば、そのシステムはもっとしっかり活用すればよかったです。

まぁ、2000年頃と言えばまだインターネット普及過渡期、情報もあまり持っていない少年ではそれもできなかったわけですが。

 

▼あとがき

入院生活そのものの主な概要はこういった感じです。

基本的には監視・管理される生活ですが、同じ年頃の同性との共同生活は、辛くもあり、また楽しかった覚えがあります。

あの頃、勉強以外にいろいろなことを教えてくれた看護師の皆さんには本当に感謝しています。

今後、できればもっと具体的なエピソードを交えて、入院生活を書き記したいと思います。
もちろん、プライバシーを保護しながら。

辛い時期の記憶ですので、少し大変なのですが、書き残すことがあの病院に入院した経験のある者の務めだと思います。

体験したことを書き残すことによって、今後の精神医療に大いに役立ててほしいと思います。