女人禁制について考える

相撲の土俵における女人禁制について、私は時代遅れだと思います。早々にルール変更し、女性も正式な土俵に上がれるようにするべきだと考えています。
ただし、いきなり大きく変化させるのはきっと難しいことでしょう。





土俵上が女人禁制なのは「豊作の女神を楽しませるための相撲の土俵の上に女性が上がってしまうと、男同士の相撲を観て楽しむべきその女神が嫉妬してしまうため」だそうです。決して「女性差別」とか「女性蔑視」とかそういった考え方が根底にあるとかそういうわけではなさそうです。
そういう文化・風習は日本には他にもあります。例えば「(女神である)弁財天が祀られている寺社仏閣にカップルで行くと、弁財天が嫉妬してしまうのでよろしくない」という話もよく聞きます。
あくまで「女神を怒らせない・嫉妬させない」ためのルールであり、「女神から利益を頂くため」のルールなのです。

しかし、男女平等が叫ばれてから随分と長い時が経ち、さらにLGBTなどの状況もある中で、いつまでもこういった風習に従うべきなのでしょうか。

「相撲」は日本の国技です。同時に、開かれたスポーツでもあるべきです。伝統的なスポーツであり、日本固有の文化でもあります。
「伝統」は「変化を続けて今に伝わっているもの」だと私は解釈しています。永く伝え続けるためには、時には意外な変化や革新も必要です。
例として、神田明神が挙げられます。「ラブライブ!」をはじめ、積極的にいろいろなアニメなどとコラボをしています。明治期には歌舞伎(の錦絵?)などともコラボをしていたそうです。
「大相撲」にも「ハッキヨイ!せきとりくん」というキャラクターがいます。ひよこをモデルにした力士達という可愛らしいキャラクターです。「伝統ルール」に縛られていない部分では、相撲も少しずつ現代に合わせて変化しているのです。
それはやはり、相撲を永く伝え続けるためだと考えられます。

土俵上の女人禁制は長い間続いています。いきなり変化させるのは誰だって怖いでしょうし、勇気がいります。
ならば、少しずつでも変化させるのはどうでしょうか。

例えば、最近土俵上で人が倒れた際に土俵に上がって救命措置を行った女性達が話題・問題になりました。
当然ですが、緊急事態です。人の命がかかっています。こういった場合は当然、女性でも土俵に上がれるようにするべきでしょう。
また、女性市長が土俵上であいさつをすることも拒否されたことがやはり話題・問題になりました。
当然ですが、女性市長は相撲を取るために土俵に上がろうとしたわけではありません。あくまで市長としてあいさつをしようとしていただけです。
普通に考えて「豊作の女神」が嫉妬するでしょうか。女神目線で考えても甚だ疑問です。それは先程の救命措置の件でも同様です。土俵上で救けが遅れて人が亡くなってしまうことを、果たして女神が喜ぶのでしょうか。

いきなり「女性大相撲」といったものを国技館で開くことは難しいでしょう。しかし、変化は必要です。LGBTの件もあります。
「豊作の女神を嫉妬させない」という原点から考えても、表彰やあいさつのために女性が土俵に上がることは容認されるべきだと考えます。

現在、学校の部活動などで女性の相撲部員が増えているといは話も聞きます。
今すぐはきっと難しいとは思います。しかし、外国人にも相撲参加の機会を認めたのであれば、女性の本格的な相撲参加もいずれ認められるべきだと思います。

変化しながら続いていくものが伝統です。
相撲が伝統文化であるならば、時代に合わせてより良い選択ができるような「国技」であるべきです。

まずはできる部分からの変化・改革を望みます。




「自己」と「他者」の評価のギャップ

以前勤めていた会社で、病気の症状も長い間落ち着いていて、それこそ通院もやめていたくらいに、バリバリ働いていた時期がありました。
ところがある日、一気に症状が再発し、重くなり、会社を休職する事態になってしまいました。正直、自分でも驚くほど一気に調子が悪くなったのです。
原因は「思ったほど給料が上がらなかった」ことにあると、自分では考えています。ただ単純に給料が上がらないだけなら、正直毎年のことなので、あまり心に影響はなかったと思います。
しかし、その年は自分の昇給への期待値と実際の昇給額のギャップが自分の中で大き過ぎたのです。





その時期は会社の中の新規業務の立ち上げがあり、私はその責任者として抜擢されていました。その新規業務を如何に効率よく運用するかを考えたり、他の部署との調整を行ったり、新規にマニュアルを作成したり、部下を育成したりと、「私としては」精力的に働いていたと思います。
その甲斐あって、割と早い時期に業務の安定した運用を行えるようになり、新規業務の立ち上げは「私としては」大成功でした。
実際に会社全体の業務の効率も上がったと思いますし、いろいろな数値面の調査も行えるようになったので、「私としては」会社に多大に貢献できたと考えていました。

そのため、私は期待していました。
「こんなに頑張ったし、これほど成果も出ているのだから、きっと給料もいつもよりも上がるに違いない」と思っていました。

そしていざ迎えた昇給についての面接の日、人事部長から私は「私としては」信じられないほど低い昇給額を伝えられました。
今でもあの衝撃は忘れられません。その瞬間、明らかに私の中のやる気がなくなったのです。
そのやる気は仕事だけではなく、生活面にも及んでしまい、結局数年ぶりに心療内科を訪れ、休職するという流れになったのです。

このときの原因は「自分の期待していた理想」と「実際の現実」との乖離が大きかったことです。
結局、「私としては」かなり頑張った仕事であっても、「会社の」評価は違います。それは「自分」と「会社」が他人である以上、起こってしまうことなのです。
自分に対する「自分」と「他人」の評価の違いにより、ストレスを感じてしまうことは私に限らずよくあることだと思います。評価が「主観的」に判断するものであるため、回避することはできないと思います。

では、どうすればその理想と現実のギャップに苦しまずに済むのか?

まずは上記のように、「自分に対する評価」は「自分」と「他人」とでは必ずしも一致しないということを理解することです。
そして、もしギャップが余りに大きく、自分ひとりでは耐えられない場合は、誰かに話を聞いてもらうことです。誰かに話すことでスッキリします。私の場合は、心療内科のカウンセリングにてその状況を話すことで、ある程度スッキリしました。

最終手段としては、執着しないことです。
つまり、この場合なら転職してしまうことです。
実際、私はその時期から転職を考え始めました。世の中に会社はたくさんあります。ひとつの会社で働き続けることに固執する必要はないのです。

「過去」に捉われず、理想とする「未来」があるのであれば、そこに向かって「今」をどう生きるかを考え、行動する。
これこそストレスフリーに生きることに必要な思考です。

何にせよ、そういった評価に疑問を持ったときこそ、生き方を大きく変えるチャンスなのかもしれません。




スーツがないと困る

最近の企業は、業界や業務内容によるとも思いますが、私服勤務の企業が大分多いと思います。私が以前勤めていたネット通販の企業もそうでした。
そのため、転職時に「スーツ」に困ってしまうという状況に陥りました。





どういうことかと言いますと、スーツ自体は持っていました。イージーオーダーで仕立てたお気に入りのスーツでした。特に裏地の色やラペル幅などにこだわったお気に入りの一着でした。
しかし、勤め先が私服勤務だったため、なかなか着る機会のない一着でもありました。友人の結婚式とかそういった機会もなかなかありませんでしたので、本当に着る機会のない服でした。

すると、どういったことが起きたでしょうか?

簡単です。身体が「大きく」なってしまい、スーツがきつくなってしまっていたのです。
スラックスのウエストがきついだけならなんとか上着でごまかせますが、ジャケットも前がしまるかしまらないかギリギリのところだったのです。
これには困りました。
正直、スーツというスーツはその一着しかありませんでしたので、転職活動においてはその一着が頼りでした。しかし、その一着がとてもとてもキツいのです。

通常であれば、急遽スーツを量販店に買いに行くのでしょう。特にスーツにこだわりのない方はこれで解決します。
しかし、スーツにこだわりがあり、イージーオーダーじゃないと気が済まない私は、結局量販店に行くことはありませんでした。「スーツを買うなら絶対にオーダーじゃないといやだ」というのも、私が手足が普通の人より長いため、ちゃんと採寸して仕立てたイージーオーダーじゃないと袖の長さが足りないのです。
そして、イージーオーダーを注文すると、仕立て上がるまで一ヵ月はかかります。
スーツが着られないと分かった時点で既に退職済みでしたので、大慌てで注文しに行きました。

結局、そのときの転職活動は退職後三ヵ月程掛かりましたので、後半戦においては新しいスーツで挑むことができました。
(だからと言って、前半戦の調子が悪かったのは決してスーツのせいではありませんが…)

転職をしようと思ったら、どんな企業が求人を出しているのかとか、どの転職エージェントに登録するのがいいのかとか、どういったマナーを身に着けるべきなのかとかを調べる前に、まずは手持ちのスーツが着られるかどうかチェックしましょう。
もし着られないようであれば、オーソドックスな一着を準備しましょう。ネクタイもです。

あと、忘れがちですが、革靴も準備しましょう。
デザインもいろいろあるかと思いますが、カジュアル過ぎないものを選びましょう。フォーマルでも使える黒のストレートチップがいいと思います。こだわるなら内羽根のものがいいですね。
ストレートチップの革靴が一足あれば冠婚葬祭にも困りません。

転職時には服装も大事です。身なりによる第一印象は短い時間で行われる就職面接においては非常に重要です。
忘れずに準備しましょう。




「死にたい」と言っていたころ

昔、本当に病気の症状が重くて調子が悪かったころ、よく家の中で「死にたい」と言って泣き喚いていました。

そのころは、本当に家の外にも出られず、何もできず、妄想ばかりしてしまっていました。「このままでいいのだろうか?」とか「もう人生終わりだ」とか、そういったことを考えていました。
今の私の言葉で言えば「未来を妄想していた」といったところですね。勝手に不安に捉われていたのです。

そうすると、口を開けば「死にたい」という言葉が出てきていました。ただ、この「死にたい」を実行することはもちろんありませんでした。なぜなら、今も当時も私は「死にたくない」からです。
ではなぜ「死にたい」などと口にしていたのか?





簡単です、家族にかまって欲しかったのです。

私の場合は「死にたい」ということで家族に自分のことをもっともっと考えてほしかったのです。贅沢な欲望です。すでに十分考えてもらっていたというのに……だけど、当時の私は他人の気持ちを考えられるほど気持ちに余裕がありませんでしたので、とにかく周りの人間に自分について考えて欲しかったのです。
「何を不安がっているのか」とか「現状をよくするためにはどうすればいいのか」とかを、考えて欲しかったのです。できれば「一緒に」考えて欲しかった。会話を通じて自身の悩みについて一緒に考えて欲しかったのです。

でも、それをうまく言葉にすることができませんでした。「一緒に自分の不安について考えて欲しい」と言えば済む話なのですが、心が過去や未来に捉われ、「今」の自分を把握できていない状況ではそんな簡単な言葉も発せられないのです。
でも、脳や心は一生懸命その言葉を発しようとします。そうして出てきた言葉が「死にたい」なのです。

「そんなバカな」と思われるかもしれませんが、心が「今」にない状況だと、周りが思いもよらない言葉でサインを発するのです、発してしまうのです。
私の場合は誰かに助けてもらいたいサインが「死にたい」という言葉を発することでした。

全ての人がそうではないかもしれません。
でも、もし身の周りに「死にたい」と言っている友人や知人がいたら、まずは落ち着いて話を聞いてあげてください。
話を聞いてもらうことで落ち着く人もいます。私がそうでした。
そして、さり気無くでいいので気持ちを過去や未来ではなく「今」に向けるように誘導してあげてください。
そうすることで、きっとその人は心の落ち着きを取り戻すはずです。

「死にたい」という言葉は「話を聞いて欲しい」とか「一緒に考えて欲しい」というサインだと私は考えます。
何度も何度も「死にたい」という人もいるでしょう。でも、もしあなたの心に余裕があるのであれば、何度でも話を聞いてあげてください。

悩みに捉われている人に、手を差し伸べてあげてください。