気持ちが落ち着かないとき

「気持ちが落ち着かないとき」が今でもたまにやってきます。この文章を書いている今がまさにそうです。
ですから、今回はこの「気持ちが落ち着かないとき」について書きます。

気持ちが落ち着かなくなる理由なんてないのです。
いや、もしかしたらあるのかもしれません。でもきっとそれは些細なことです。あるいは大きなショックからくるのかもしれない。
なんにせよ、気持ちが落ち着かなくなるのは突然です。





私はその突然の気分に襲われたときは、まずは実際に頭を抱えます。そして、周囲の状況にもよりますが「うーうー」唸ったりします。
こうすることで、落ち着いていない自分をしっかりと認識することができます。
どんなにみっともない行動をしてでも、まずは「落ち着いてない自分を認識する」ことが大事です。

さて、落ち着いていない自分を認識したあと、医師から頓服薬などを処方されている場合はそれを服用します。
その際、用量などはしっかり守るようにしましょう。

その後、もし周りに家族やサポートしてくれる人がいる場合には正直に「自分が今落ち着いていないこと」を伝えます。
そうすることで、何かしらサポートを受けられる場合もあります。家族のサポートが受けられる状況にある場合は、積極的に受けてください。
もちろん、家族の負担になることもあるでしょう。
ただ、ひとりではどうにもできないことをひとりで続けるというのはあまりにも不毛です。

さて、話は脱線してしまいましたが、薬などを服用した後は、いよいよ自分を落ち着かせる作業に入ります。
結論からいえば「今の自分に集中する」ことが自分を落ち着かせることになります。

気分が落ち着かないときというのは、ほとんどの場合、気持ちが不安定で思考が「過去」や「未来」を行ったり来たりしている状況だと思います。
過去に起きた悪い出来事を思い返していたり、未来に起きそうな悪いことを想像してしまっていたり、その繰り返しによって「なんだかわからないけど落ち着かなくなる」のです。

解決策としては、まずは寝てしまうことが一番に挙げられます。寝ることができれば、この状況は一旦リセットされるはずです。

寝られない場合や、もしくは寝ても駄目だった場合は、思考や気持ちを「過去」や「未来」ではなく、「今」に向ける必要があります。
例えば、もし没頭できる趣味があるのであれば、それを始めてください。完全にその趣味に「没頭」できれば、それは「今」に集中できていることになります。
あるいは読書を始めることもいいかもしれません。本を読んでいる間はその内容に集中しますよね。
それこそが「今」なのです。
映画のDVDを見始めるのもいいかもしれません。料理をし始めることも効果的な気がします。

そんなわけで、今私はこの文章を書くことに没頭しています。
没頭モードになることで、過去も未来も考えず、ただひたすらに「今」を認識し、集中することができます。

そういうわけですので、もし「わけもわからず落ち着かない」状況になったら、とりあえず何か没頭できることを始めるというのをオススメします。
一番シンプルな不安脱却方法だと思いますので。

ほかにも「瞑想」などの手段もありますが、それについてはまたいずれ書こうと思います。

今後も繰り返し主張しますが、大事なのは「今」を認識することです。

…そして今回の記事を書き終わり、私は落ち着きを取り戻しました。




心の風邪、という言葉

「うつは心の風邪」という言葉があります。
この言葉を聞くと、どういったイメージを思い浮かべるでしょうか?

「うつ病は誰でもかかる病気」というのがまず思いつくかと思います。続いて、「うつ病は風邪のようにすぐに治る」とか「少し休めば治ってしまう」とか思い浮かべると思います。

私が心の病を発症した当時、病院では「抑うつ」として診断されました。
気分が沈み切っていて、何もやる気が出ず、その気分に引っ張られるように身体もだるかったので、こういった診断になったのだと思います。





病院に行く前、心のバランスが崩れた時から学校を休んでいたわけですが、病院に行ってからもさらに休み続けました。心の病にかかったときは休息は大事なことです。

でも、当時の私はそんなことは知りませんでした。
たしかに、休むこと以外できることがありません。しかし、休み続ければ休み続けるほど、学校の勉強についていけなくなると思っていましたので、心がどんどん焦っていきました。しかし、焦っても焦っても、何もできないのです。
そんな心境でしたので、家の中で叫んだり暴れたり、極端に沈んで寝込んだりを繰り返していました。

そういった状況で、家族から言われ続けていた言葉があります。
それが「うつ病は心の風邪だからすぐ治るよ」という言葉でした。

言われると、その場では「ああそうなのか、ならもう少し休んで治療しよう」と思うのですが、時間が経てば経つほど、今度は「時間が経っても治らない。このうつ(風邪)は重病なんじゃないか?」「本当に治るのか、一生治らずこのままなんじゃないか?」「治るはずの病気なのに自分で治せないなんて、
自分はなんてダメなんだ」などと思うようになっていました。

「うつは心の風邪」という言葉のおかげで、うつ病は誰でもかかる病気だということが理解され、気軽に病院に行けるようになったことはとてもいいことなのだと思います。

反面、私のように実際にうつ病になった人間にとって、これほど辛い言葉はありませんでした。
簡単に治るはずの「風邪」が全然治らないんですもの!
当時、ますますますます焦った覚えがあります。

そういった私の経験上、「うつは心の風邪」という言葉を実際にうつや神経症などの診断を受けた人にはあまり言わないでほしいです。
相手の気を楽にするつもりで放った言葉が、私に対してのようにマイナスの影響を多大に与えることもあります。

うつ病の治療のゴールは、「治癒」ではなく「寛解(かんかい)」なのだそうです。
「寛解」とは「病気の勢いが衰えて症状が出ていない状態を示す言葉」なのだそうです。
風邪のように完治するわけではありません。その点について、誤解のないように病気と付き合わねばなりません。

▼参考サイト
『ダイヤモンド・オンライン』
「ウツ」を“心の風邪”と喩えることの落とし穴http://diamond.jp/articles/-/3420




心の病との長い付き合い

私が初めて「心の病」にかかったのは16歳のときでした。
ちょうど年が明けて、高校一年目の三学期が始まった頃だったと記憶しています。

その頃私は都内にある帰国子女の多い高校に通っていました。友達も普通にいて、好きな人に片想いもしていましたし、授業にも普通に参加していました。部活動もやっていましたね、たしか剣道部。演劇部や漫画研究会にも所属していました。
学業の成績は良くもないけど悪くもない、中の中くらいでした。





一見順調だったのですが、当時の私は特にこの「中の中の成績」を気にしていたと思います。
中学までは成績は比較的良い方に属していました。ところが高校に入ってからはクラス数や学年の人数がそれまでと比較にならない程に増えて、そんな中で「中の中」に落ち着いてしまったのです(ちなみに中学卒業時の学年人数は9人でした。
このあたりの話についてはまたいずれしましょう)。

本当に「中の中」だったのです、すべての科目が。通知表に乗っている数字が五段階評価でほぼオール3でした。2以下はなく、4がたまにあり、5はありません。
そんな数字を眺めているうちに「自分には何も才能がないんだな」と思い込み始めたのです。
これが現在に至るまでの「病との生活」の全ての始まりです。

この頃から「破壊的な妄想」がひどくなっていました。
具体的には「自分には人を殺す才能があるはず。必ずあるはず」と考えるようになっていたのです。
しかし、それを実行するわけにはいきません。理性がそれを許しません。
「頭の中の理性」と「心の奥底の感情」がせめぎ合っているうちに、ある日とうとうその状況に心が耐えられなくなってしまいました。

心の崩壊が突如として起こったのです。
そして身体も動かなくなり、何の気力も湧かなくなりました。
ただただ、布団にこもって泣いていました。
泣きわめきながら両親に「精神病院に連れて行ってくれ」と懇願しました。
その後、病院に行くまでの一週間くらいの記憶はハッキリ言って残っていません。多分、ほとんど寝ていたのだと思います。

病院に行き、診察を受けてすぐに自身の心の状況を語れたわけではありません。何も話せなかったと思います。想いが多すぎて、言葉にできないのです。
そして、とりあえず薬を処方されました。

これから、人並みに復帰するまでに長い時間をかけることになりました。

あの高校一年の冬から20年近く経ちました。
今現在の私は仕事をしている社会人です。でも、その仕事もちゃんと勤め上げられていますと自信を持っては言えません。
(転職したばかりで慣れていないというのもありますが)
それでも、社会的には復帰できています。自分でお金を稼いでいますし、近々結婚もする予定です。

自分の20年近くの経験を書き出すことで、同じような「心の病」の悩みを抱える人のお役に立てればと思います。